弦打の名所
飯田城と茶臼塚
飯田城は現在の定木地区(高松市飯田町)周辺にあったのではと考えられていますが,場所は特定できていません。
案内板によると,生駒親正が讃岐領主になったとき(1587) の城主は飯田伝右衛門で,200石の禄で召し抱えられたそうです。
また,写真の茶臼塚は,弦打風土記によると,応仁の乱のはじまった頃,飯田氏の祖先を祀った塚であると伝えられています。
(県道176号線 光明寺の交差点から西へ約120m)
飯田城は現在の定木地区(高松市飯田町)周辺にあったのではと考えられていますが,場所は特定できていません。
案内板によると,生駒親正が讃岐領主になったとき(1587) の城主は飯田伝右衛門で,200石の禄で召し抱えられたそうです。
また,写真の茶臼塚は,弦打風土記によると,応仁の乱のはじまった頃,飯田氏の祖先を祀った塚であると伝えられています。
(県道176号線 光明寺の交差点から西へ約120m)